「イマーシブ・オーディオ」という言葉の誕生
※ 以下は、AURO-3D方式の創始者であるWilfried Van Baelen氏に、本サイトのために「Immersive Audio」という言葉の由来とその背景について説明をお願いし、ご本人から直接寄せられたメッセージをまとめたものである。

イマーシブ・オーディオ(Immersive Audio)という言葉について、AURO-3Dフォーマットを発表したAuro Technologies社(※2)の会長Wilfried Van Baelen(ウィルフリード・ヴァン・バーレン)氏は、2010年に東京で開催されたAES(Audio Engineering Society)(※1)国際コンファレンスにおいて、現代的な三次元音響を包括する新しいカテゴリーの名称として提唱したと説明している。
【写真は2010年、東京で開催されたAES国際コンファレンスに登壇中のWilfried Van Baelen氏】
当時は、三次元音響再生という新しい概念を表すためにさまざまな言葉が使われ、用語が統一されていない状況にあった。東京カンファレンスを迎えるにあたり、Van Baelen氏は、この新しい音響カテゴリーを表す、包括的で直感的に理解できる一つの言葉が必要だと考えた。
その発想のきっかけとなったのは、AURO-3Dの最初のデモンストレーション以来、聴取者から繰り返し寄せられていた「immersive(没入するような、包み込まれるような)」という感想だった。
従来のサラウンド・サウンドが主として水平面上で聴取者を取り囲むのに対し、三次元音響は垂直方向の音響情報を加えることで、聴取者が三次元音場の内部にいるような感覚を生み出す。それによって、より自然で現実に近い音響体験が可能になる。
そこでVan Baelen氏は、こうした聴取体験を、
「Immersive Sound(イマーシブ・サウンド)」
その音響技術や分野を、
「Immersive Audio(イマーシブ・オーディオ)」
と呼び、水平面のサラウンドを超えて高さ方向を含む三次元音響を包括する総称として提唱した。
その後、同氏はAURO-3Dの商業展開とともに、「Immersive Sound」と「Immersive Audio」という名称を一貫して用いるようになった。
2011年には、Barco社と共同でAuro 11.1をデジタルシネマ市場に導入した。当時、Barco社とGalaxy Studiosが制作したパンフレットには、「Get ready for a truly immersive sound experience(真に没入できる音響体験への準備を)」という見出しが掲げられ、AURO-3Dは「conventional cinema audio into a fully immersive 3D sound experience(従来の映画音響を、完全に没入できる3D音響体験へ変える)」技術として紹介されていた。
同パンフレットでは、AURO-3Dを「映画産業のための次世代3Dサウンド・フォーマット」と位置づけ、従来の水平面上のサラウンド・サウンドに高さ軸を加えることによって、聴取者を包み込む自然な三次元音響体験を実現すると説明されている。
2012年には、Brian Vessa氏が議長を務めるSMPTEのCinema Sound Systems技術委員会(TC-25CSS)が設立され、デジタルシネマにおけるイマーシブ音響システムの標準化作業が始まった。
Van Baelen氏は、この標準化活動に関わり、「Immersive Sound」と「Immersive Audio」を新しい三次元音響カテゴリーの用語として取り入れるよう働きかけたと述べている。Auro TechnologiesとBarcoは、その後DTSなどとともに、異なるイマーシブ音響システム間の相互運用を可能にするオープンな映画音響規格の提案に参加した。
こうした複数の企業と専門家による標準化作業を経て、SMPTEは2018年に次の規格を発行した。
- SMPTE ST 2098-1:Immersive Audio Metadata
- SMPTE ST 2098-2:Immersive Audio Bitstream Specification
- SMPTE ST 2098-5:D-Cinema Immersive Audio Channels and Soundfield Groups
ST 2098-2は、その後2019年版として改訂された。
PCMag誌も、2010年のAURO-3Dと2012年のDolby Atmosの成功を受けて、SMPTEが2019年にImmersive Audioの規格をSMPTE 2098として完成させたとまとめている。
こうした経緯と功績から、Wilfried Van Baelen氏は「Immersive Audioの父」と呼ばれるようになったといわれている。
Van Baelen氏の功績は、用語の提唱にとどまらない。同氏はAURO-3Dを発展させ、音楽、デジタルシネマ、ホームエンターテインメント、自動車、ゲーム、放送など、主要な音響分野に展開する総合的なイマーシブ・オーディオ・ソリューションを確立した。
そこには、三次元の音を「収録する」「制作する」「配信する」「再生する」という、音響制作から再生までの一連のプロセスが含まれている。
さらに近年では、同氏が設計した「AuroMasters」も開始された。AURO-3Dによる音楽を、ロスレスのスタジオ・グレードの音質で、場所を問わずストリーミングできるプラットフォームである。
1998年のIEEE論文に見られる先行使用
一方、「Immersive Audio」という英語表現自体は、2010年以前の学術文献にも確認できる。
その代表的な先行例が、南カリフォルニア大学(USC)のChris Kyriakakisによる1998年のIEEE論文である。
Chris Kyriakakis,
“Fundamental and Technological Limitations of Immersive Audio Systems,”
Proceedings of the IEEE, Vol. 86, No. 5, pp. 941–951, May 1998.
DOI: 10.1109/5.664281
この論文の原稿は1997年9月に受理されており、少なくとも1997年の時点ですでに「Immersive Audio Systems」という表現が技術研究分野で使われていたことになる。
論文では、「Immersive Audioを実現するうえで重要な課題は、三次元音場を再現し、意図された空間的位置、周波数特性、ダイナミックレンジを維持することである」と述べ、Immersive Audioと三次元音場再現を明確に結びつけている。
同論文が対象とする方式は、現在のAURO-3Dのような高さスピーカーを備えた方式に限定されない。HRTFを利用したバイノーラル・ヘッドホン再生、複数スピーカーによる再生、トランスオーラル方式などを含み、AmbisonicsやWave Field Synthesisにも言及している。
また、Immersive Systemの目的は、現在の物理環境には存在しない知覚を合成し、視覚情報と聴覚情報が継ぎ目なく融合した環境の中へ利用者を没入させることだという。その実現には、音源方向の正確な定位だけでなく、音像の幅、聴取者の包み込まれ感、明瞭度、温かさ、視覚像と聴覚像の一致などが重要になるとしている。
しかし、この論文は、業界共通のカテゴリー名称として「Immersive Audio」を採用しようと提唱したものではない。したがって、この先行使用と、Van Baelen氏が2010年以降、高さ方向を含む現代的な三次元音響を包括する業界カテゴリーの名称として「Immersive Sound」と「Immersive Audio」を意識的に提唱し、商業市場と標準化の場で普及させた功績とは、分けて考えるべきものである。
イマーシブ・オーディオと空間オーディオ
現在、「Immersive Audio」は、三次元の音響体験を幅広く表す言葉として定着している。一方、「Spatial Audio」という言葉も広く使われるようになった。
特にApple Musicで提供されているDolby Atmosの音楽など、バイノーラル技術を用いてヘッドホンで聴取する立体的な音響サービスを表す言葉として、「Spatial Audio(空間オーディオ)」が広く認識されるようになった。
しかしVan Baelen氏は、「Immersive Audio」をより広い概念として捉えており、そこにはヘッドホン、ホームエンターテインメント、映画館、自動車など、さまざまな再生環境における三次元の音響体験が含まれている。
後 記
なお、本サイトでは「イマーシブ・オーディオ」と「3Dオーディオ」という言葉を併用している。
「3Dオーディオ」は、三次元音場、チャンネル配置、収録・再生方式など、技術的な規格や定量的な説明を行う場面で用いる。一方、「イマーシブ・オーディオ」は、方式や再生環境を限定せず、聴取者が三次元音場の中に置かれる立体的な音響体験を広く指す場合に用いている。
※1)Audio Engineering Society:1948年に設立された、オーディオ技術を専門とする国際的な学術・技術団体。
※2)Auro Technologies社の資産は2022年にNewAuro B.V.へ移管され、2024年12月にGoer Dynamics B.V.がAURO-3Dの技術と事業を取得した。現在、AURO-3Dの開発と世界展開はGoer Dynamics B.V.が担っている。
